2018年7月22日 (日)

人は何で生きるか?

 「人はパンだけで生きるのではない」とは、よく知られた言葉です。しかし、それが聖書の言葉であることを知る人は意外に少ないようです。まして、その言葉に続いて語られているとても重要な部分を知る人はさらに少ないのではないでしょうか。
 実は聖書には次のように記されているのです。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口からでる一つ一つの言葉による」(新約聖書・マタイの福音書4章4節)。この言葉の前半部分を知る人は多いのに、後半部分を知る人は少ないと申しましたが、あなたはいかがでしょうか。

 多くの人は、人間が「パンだけで生きるのではない」ことは知っています。けれども、私たち人間が究極的には一体何によって生きるのかについて分かっている人は本当に少ないように思われてなりません。
 聖書はこのことについて、人が生きるのは「神の口から出る一つ一つの言葉による」と教えています。すなわち、私たち人間を生かす究極のものは、神の言葉(意志)であるということを。

 ここで言われている「パン」とは、単に食物のみでなく、金銭や健康やそのほか私たちがこの世で生活するために必要なあらゆることがらを意味しています。しかし、それらすべてが申し分なく満たされていたとしても、それで私たちの命は保証されているわけではなく、神の意志こそが私たちの命を左右する究極のものであるというのです。

 まことに私たちを生かすものは、「パン」のレベルよりも、さらに深い「神の意志」にこそあることを覚えたいものです。

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2018年7月21日 (土)

礼拝説教について

 
キリスト教説教の基本は、聖書を常に根拠として語るところにありますが、それと同時に説教には、聴き手やその時の状況などとの関連によって、テキストの選択、語るべき内容、語り方などにおのずと影響が出て来るという側面もあります。
ここでは説教者が教会の働きの中で実際に直面させられる様々な説教の場面の中から、特に「礼拝説教」「伝道説教」「結婚式説教」「葬儀説教」「教会学校説教」という5つのケースを取り上げ、それぞれのケースにおける状況を踏まえたふさわしい説教のあり方を述べてみたいと思います。
 
1 「礼拝説教」について
 
(1)礼拝と説教
 
「礼拝説教」とは何か、そこでどう語ればよいかを考える前提として、まず礼拝とは何かということについての理解が必要となります。その意味で、キリスト教会における礼拝の意義について、最初に少し触れておくことにします。
聖書における「礼拝」の素朴な型は、カインとアベルが神へささげ物をした行為(創世4:3、4)や、洪水後に祭壇で神にいけにえをささげたノアの行為(創世8:20)や、カナンの地に入ったアブラハムが主の祭壇を築いたこと(創世12:7)などに見られます。
このように素朴な神礼拝は、モーセ以降になると、イスラエル人の生活の中で中心的位置を占めるようになっていき、しかも詳細にわたって厳しく規定されるようになっていきます。そのことは、たとえばレビ記などにもよく見られるところです。
さらにエルサレム神殿が建立されるに至ると、エルサレムを中心とした神殿礼拝の伝統が確立されてきます。しかし、神殿における祭儀は段々と形式に流れるようになり、預言者たちの厳しい批判の的ともなります。
預言者たちは、いけにえよりも内的な「砕けた魂」を強調し、神に対する信仰は神への内的敬虔と隣人に対する愛の行為によって示されるべきことを主張します。形式的な祭儀礼拝がもたらす信仰の形骸化と腐敗に対し、彼らは神の言葉のメッセージをイスラエルの民の内面に語りかけることに力点を置いたのでした。私たちの説教は、このような預言者の召しと精神を受け継ぐものでもあるのです。
ところで、説教が教会の礼拝の中に位置づけられ、聖書の説き明かしとして語られるという形態のもとをたどれば、捕囚時のユダヤ教のシナゴーグ(会堂)礼拝にその最も近い類型を見いだすことができます。エルサレムの神殿を失い、異郷の地に散らされたユダヤ人にとって、シナゴーグにおける礼拝とそこでの神の言葉による養いは、深い慰めまた励ましとなるものでした。捕囚後、シナゴーグはさらに広くユダヤ人の散在する各地の市や町に建てられていき、安息日には、賛美と祈祷と聖書の朗読とその説き明かしを中心とした礼拝が行なわれました。
キリストや使徒たちの宣教においても、安息日にはユダヤ教のシナゴーグを訪れ、聖書を説き明かす説教を行なったことが記録されています(マルコ6:2、ルカ4:15、16、使徒18:4、19:8)。しかしキリスト教会の進展に伴い、ユダヤ教の伝統を踏まえつつも、新しく独自な礼拝形式がさらに整えられるようになっていきます。礼拝の場もシナゴーグや神殿に制約されず、信徒の家庭などでも礼拝が持たれ(使徒12:12、ローマ16:5、コロサイ4:15)、またキリストの復活を記念するところから、日曜日を特に礼拝の日として守るようになっていきました(使徒20:7)。
初代から中世初期に至る時代は、キリスト教会の礼拝や諸儀式の形成期であり、これらに関する諸規定が詳細にわたって定まっていく過程でもあります。しかし、礼拝が儀式としての厳かな体裁を与えられ、とりわけミサ(聖餐式)がその中心に位置づけられるあり方の中で、説教が軽視される傾向が生まれ、礼拝の中での重要な位置を次第に失うに至るということが起こってきました。
宗教改革は、このように説教の生命が失われ、祭儀の偏重により形骸化していた中世ローマ教会の礼拝に対する改革でもありました。改革者たちは礼拝における説教の意義を再発見し、説教を礼拝の中で最も重要なものとして位置づけ、確立することに貢献したのです。
ルターは、「神の言が説教されなければ、歌いも朗読も集まることもしないほうがましである」と語り、礼拝における御言葉の説教が不可欠であることを主張しています。74
カルヴァンもまた、「聖礼典の執行」とともに「福音の説教」こそが礼拝を形成する最も重要なものであり、真の教会のしるしであることを主張しています。75
今日におけるプロテスタント教会は、このような宗教改革の精神と伝統に立ちつつ、礼拝の中での説教を理解し、語ろうとするものです。
 
(2)礼拝説教が目指すもの
 
「礼拝説教」は、礼拝という状況における説教であり、キリスト教会の伝統の中に培われてきた主の日の礼拝という枠組みの中でおもに語られるものです。
主日礼拝の目的は、まことの神を礼拝するという行為に会衆をあずからせるところにあります。それゆえ、礼拝における説教の意味や役割をこの目的にそって考えることが求められます。
説教を通し、会衆は神の御声を聴き、礼拝をささげますが、そこに礼拝の核心があります。すなわちそこでは、聖書が説き明かされ、それが神の御声として語られ・聴かれることにより、説教者も会衆も共に礼拝にあずかるのです。礼拝の主は神ご自身であり、神がそこでは語られる主体であられるゆえに、説教は徹頭徹尾神の言葉である聖書に基づくことが求められています。そこでは説教者の発想や人の思想が述べられるような人間を中心としたあり方は拒否されなければなりません。
礼拝における説教の目指すところは、人間が中心となる方向ではなく、あくまでも神を主とし、中心とするという礼拝の本義に向かってすべての人を導くところにあります。礼拝の主人公は説教者でもなく、会衆でもありません。神ご自身こそ、礼拝の主であられます。礼拝では、何を語るか、どのようにして語るかを問うことの前に、このことがまず説教者において常に明確にされていなければなりません。
礼拝の中心が神であられることの具体的証左は、聖書に基づいて説教がなされていくというかたちで示されます。すなわち、このように聖書に堅く立って決して離れないのは、人の思いや思想を退け、ただ神にのみ聴くということの表れにほかなりません。礼拝において聖書以外から語らないのは、神以外の何ものをも礼拝における語りかけの主体として持たないということです。礼拝説教が、神の言葉である聖書に基礎づけられているということは、礼拝の主人公は神ご自身であることが、そのようなあり方において象徴的に告白されているということなのです。76
さて、礼拝説教において語られることを求められているものは、イエス・キリストとその救いの恵みを中核とする聖書の使信の総体です。組織神学的に言えば、神論から終末論に至るキリスト教教理の総体ということです。この大きな目標を目指しつつ、説教者は一回一回の説教を積み上げていく必要があります。
実際には、一回の説教で取り扱えるのは、そのような大目標のごく小さな限られた一部分にすぎないことでしょう。しかし、山頂を征服するには、遅々たる歩みではあっても、しっかりと山頂を目指す姿勢が求められるように、礼拝説教のこの大目標を説教者は覚えておくことが必要です。このような目標が見失われ、説教者の主観が支配的となるとき、説教者の好みや得意とする聖書の使信は取り上げられても、そうでない聖書の使信はしばしば手つかずに残されてしまうからです。
 
(3)礼拝説教の今日的課題
 
次に、聖書を礼拝においてどのように語るかについて考えてみましょう。
すでに考察したように説教は「テキスト説教」「講解説教」「主題説教」に一応分類できますが、今日の日本のキリスト教会における主日礼拝の説教は連続的な講解説教が比較的多いようです。
確かに講解説教は、聖書テキストに即して語るというところから、最もテキストの本来の主旨においてそれを研究し、説教することができます。また連続的な講解説教というかたちをとれば、説教者の毎週の聖句選択の労を省くこともでき、聖句選択における説教者の主観的偏りを避けることもできます。さらには説教者も聴衆も共に、聖書テキストを連続的に大局的に学ぶことにより、聖書をじっくりと深く学ぶことができることでしょう。
しかし、連続講解説教が礼拝における唯一の説教の形態であるとは限りません。すでに第5章で考察したように、説教形態における三類型はそれぞれ固有の長所と短所を併せ持っており、説教者はそれらをよくわきまえた上で各説教形態をふさわしく用いていくことが許されているからです。
説教者が説教のための聖書テキストに向かい、また聴衆に向かい、祈りのうちに説教を整えていくときに、その聖書テキストの持つ内的構造が求めるところと、聴衆の置かれた状況が求めるところとがあいまって、説教の構成や展開は判断され、導き出されてくるものです。それらを考慮する前に、最初から特定の説教形態のみに固執するのはいささか行き過ぎかもしれません。聖書に対する服従が、特定の説教形態への服従に置き換えられてはならず、聖書の真実で効果的な説き明かしのためには、説教者はどのような説教形態にも縛られずにいることが重要と思われるからです。
ところで、日本のキリスト教会における礼拝はほとんど、キリスト者と未信者、求道者が混在する中で行なわれているのではないでしょうか。礼拝がキリスト者の神礼拝の場であり、その信仰の育成の場だと言っても、そこには常に幾人かの未信者、求道者が含まれているという現実があります。それゆえ、説教者はこのような状況を踏まえ、信者のみならず未信者、求道者に対する配慮をも加えつつ説教することが必要となってきます。
すなわち、礼拝における説教は、信者を対象とし、その信仰を養い、キリストを主とする教会の形成を目指すという課題を担うにとどまらず、未信者をキリストの救いへと導く伝道的課題をも併せて担うということです。別言すれば、礼拝において、「教会形成的視点」のみならず「伝道的視点」をも加味しつつ、これら双方の視点から説教を準備し、語っていくことが、現に求められているのではなかろうかということです。
キリスト者人口が日本の総人口の1パーセントにも満たない現状において、一人でも多くの人々をイエス・キリストの救いへと獲得することは、日本の教会の急務と思われます。教会の礼拝に未信者が少なからず出席しているという今日の状況に対し、説教には未信者にも届いていく広がりを備えることが求められているのではないでしょうか。未信者をキリストの救いへと獲得していくための伝道的視点をも兼ね備えた礼拝説教を形づくる試みが、日本の教会の礼拝説教における大きな課題の一つとして与えられているように思われます。

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  (注)
74 『ルター著作集』第5巻、聖文舎、1967年、276頁。
75 J・カルヴァン『キリスト教綱要』Ⅳ1、72頁。
76 説教は確かに礼拝の核心部分を形づくる役割を担っています。しかし、説教だけが礼拝のすべてであるわけではありません。説教は「祈り」「賛美」などといったその他の礼拝の各部分と正しいバランスを保つ中で語られていくことが必要です。その点で、あまりにも長すぎる説教は、礼拝における各部分との正しい均衡をくずし、礼拝全体を損なうものとなります。また聴衆に対しても、聴くことに集中できる許容限度を越えたあまりにも長い説教は、かえって礼拝の思いを減ずる結果をもたらすことでしょう。

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(藤原導夫著『キリスト教説教入門』より引用)

 

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2018年7月20日 (金)

信徒説教者の要件

1.神に認められる
 説教者とは誰なのでしょうか。誰でもなりたいと願えば簡単に説教者になれるのでしょうか。それとも説教者になるための何らかの要件といったものがあるのでしょうか。日本の教会の実状を考察するならば、本来求められるべきである一定の要件を満たして働いている説教者と必ずしもそうではない説教者とが混在しているように思われます。
 この問題について考えていこうとするならば、私たちはやはり何よりもまず聖書に耳を傾けるところからその道を辿っていくことが賢明であろうと考えます。
 旧約聖書では、神からの言葉を人々に向かって語る「預言者」において、現代の私たち説教者の原初の姿を見ることができるということができると思います。逆に言えば、現代の私たち説教者はかつての預言者の働きを今ここにおいて受け継いで担っている後継者であるということができる思います。
 モーセが同胞のイスラエルの民をエジプトから導き出すことに自らの力不足を覚えて尻込みをした時、神はモーセに次のように言われたのでした。「今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ」(出エジプト3:10)。「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ」(3:12)。
 苦しみの中にあったイスラエルの民を導き出す使命を担って生きたモーセの原点は、自らの力や願いをはるかに超えたところにあったのです。実にそれは、そのことのために神に呼び出され、神に遣わされたところにありました。このように、その働きのために神に召し出され・遣わされたという事実こそモーセが立ち続けた原点でありました。
 エレミヤは神が与えようとされた働きに対して、自らの若さのゆえに怖じ気づいてしまいました。そのことをエレミヤは次のように嘆いています。「ああ、神、主よ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません」(エレミヤ1:6)。しかし神の答えは次のようなものでした。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ」(1:7)。エレミヤもまた、このように神によって召し出され・遣わされたことによってこそ預言者として働くことができるようになったのでした。
 旧約聖書に見られる預言者たちと同様に、新約聖書では神からの言葉を語る働きを中心的に担ったのは「使徒」たちでした。
 ペテロは主イエスに出会った時、次のようにしか自らのことを言い表すことができませんでした。「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」(ルカ5:8)。しかしキリストは、「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです」(5:10)と声をかけ、ペテロをご自身の弟子とされたのでした。
 伝道者パウロにとっても、異邦人伝道のために働く理由とその原点は、彼自身が復活のキリストに出会い、召し出され遣わされたというところにありました。アグリッパ王の尋問に対して、キリストがその使命を与えてくださったことをパウロは次のように振り返っています。「起き上がって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたが見たこと、また、これから後わたしがあなたに現れて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす」(使徒26:16、17)。
 このように、聖書が語り伝えているのは、神からの言葉を語る働きに携わる人々は「神によって召し出され、遣わされた」人々でありました。そこにおいて共通することは、自分自身によってではなく、神ご自身によってこそその働きに召し出され、遣わされるに至っているという経緯です。
 預言者たちや使徒たちの担った神からの言葉を告げる働きを継承しつつ働く現代の私たち説教者においても、同じことが求められていると思われます。説教者はみ言葉を語る使命のために、神によって召し出され、遣わされているということです。説教するという働きを資格づけるのは私たち人間にではなく、神ご自身にこそあるのです。説教が聖書を通して神からのメッセージを語り告げるものであるとするならば、そのメッセージの根源的語り手である神ご自身がその説教者を認めておられるかどうかというこが問われるのは当然のことと言えましょう。それゆえに説教者の召命の有無は、説教者であるということにおいての最重要な要件として受けとめられなければなりません。

2.教会に認められる
 イギリスの説教者・神学者であるD・M・ロイドジョンズはその著『説教と説教者』(小杉克己訳、いのちのことば社)の中で、説教者であることの前提として「召命」と「教会による点検と確認」が必要であるということを述べています。(145-174頁)
「説教者は自分で説教をしようと決心したクリスチャンではありません。彼は自分でそのような決定はできません。……神に召されたひとは何のために召されたかを悟り、その責務の恐れ多いのにひるむのです。しかし、召されているという意識とその強い働きかけとを圧倒的に感じて人は説教するように導かれるのです」。
 神によって召されるということは、すでに考察したように、聖書に記されている神の言葉を語ることに携わった人々に共通して見られるものであり、また教会の歴史における私たちの先輩である多くの説教者たちにも共通して見られるものです。
 そのことを認めた上でロイドジョンズは、さらに説教者には「召命」のみならず教会による召命の「点検と確認」が必要であることを次のように強調しています。「以上の事柄(召命)がまず生じて人は説教のために講壇にたちます。しかし、それさえも点検され、確認される必要があります。要するに今度は教会によって行われるべき事柄です。……どうしたら私たちは自分で任命したのでなく『遣わされた』ことを確認できるのでしょうか。この点で教会がかかわります。……彼の個人的な召命は教会によって確認され、その真実性が示されなければなりません」。
 教会はその人の召命が本物かどうか、真に説教者にふさわしいかどうかを点検する役割を与えられていると言うのです。ロイドジョンズの主張をかいつまんで言えば、次のようになるかと思います。説教者となるための重要な要件は、第一に説教者となるべき人の心の中に生ずる、神から召されたという「内的確信」であり、第二は教会が関わることによってなされる彼の召命についての「点検と確認」である。多少の例外はあるにしても、その人が説教者としてふさわしいかどうかについては、この二つの方面から考察されていかなければならない、と。
 筆者の個人的体験ではありますが、このようなことがありました。神学校時代に素晴らしい説教者・牧師となるであろうと期待されていた一人の仲間がいました。彼はあらゆる面で優れており、神学生たちからも教師たちからも、素晴らしい主の働き人になるであろうと思われていました。けれども、優秀であった彼はいつしか神学校を中途退学し、教会に行くことさえもやめてしまったのでした。人々の目には、その人が素晴らしい神の器となって働くであろうと見えたのですが、実のところ神様から召されてはいなかったのでしょう。
 反対にこのような見聞もあります。ある一人の神学生は仲間からも教師たちからも牧師にはならないほうがよいであろうと評価され、そのようにアドヴァイスを受けていたとのことです。けれども周囲のそのような声を押し切って、その人は牧師となって働きを始めたのでした。やがてその人は多くの人々から優れた牧師であり、説教者であると認められるようになったのでした。私は実際にその人を知っていますが、その人がかつて神学校時代には人々から高く評価されなかったということを想像することができません。人々がどのように見ようとも、その人を神は召しておられたのだと思います。
 ここに述べた二つのエピソードは例外的なものでありましょう。ですから、それらは例外であって、安易に一般化すべきではないと思われます。ロイドジョンズが述べているように、召命が与えられていること、教会によって承認されていること、これらは双方とも説教者であることの重要で基本的な要件です。単に召命に結びつく内的確信のみでもなく、また教会による吟味と承認のみでもなく、説教者にはこの双方を合わせ持つことが必要です。神は、内的にはその人の魂に対し、外的には教会を通して、その人が説教者として召されているということを明らかにしようとされてきたことは、多くの信仰の先達によっても確認されてきているところであるからです。

3. 信徒の場合
 信徒の場合でも説教する機会があるのではないでしょうか。たとえば、教会学校における説教、祈祷会での説教、牧師の留守に礼拝説教を頼まれるような場合もあることでしょう。あるいは家庭集会などでも、そこに集まった人々に対してみ言葉の説き明かしを求められるような場合もあるのではないかと思います。そのような場合に、はたして信徒には説教することが許されているのでしょうか。
 すでに考察したように、説教者は基本的には説教することへと神に召され、そのことを教会によって吟味され、承認されることが必要です。
 「使徒の働き」に記されているエルサレム教会において、ペテロは「私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします」(使徒6:4)と語り、祈りとみ言葉の奉仕に専念する人々と他の奉仕に携わる人々との区別がなされたのでした。その定めに従いペテロやヨハネなどの使徒たちはもっぱら祈りとみ言葉に仕えることに専念したのでした。けれども、さらに読み進むと、「もっぱら祈りとみ言葉の奉仕」に携わる者としては選ばれてはいなかったステパノは公に説教し(「使徒の働き」7章)、ピリポはエチオピアの宦官に対してみ言葉を説き明かしています(「使徒の働き」8章)。今流に言えば、信徒も説教しているのです。
 聖書に範を求めつつ、教会の歴史においてなされて来た「信徒が説教する」ことの可否についての議論に一致はありません。日本における各教派・教団・教会においてもこの点では相当の違いがあるというのが現実です。そのような事実を心に留めつつ、筆者としては信徒の方も説教することが許されていると考えています。ただし、基本的には信徒の場合も、説教する奉仕に就くようにと神によって召されたという内的確信を得ていること、そのことと共に教会によって、その人が説教することについて吟味され承認されていることが必要であると考えています。神様が自分を説教することへと召していてくださるという内的確信を欠き、教会からも説教することを認められていないならば、公に説教することは控えるべきでありましょう。
 信徒の方々も、以上のような説教者としての要件が満たされるならば、教会のさまざまな奉仕の場において、ぜひ積極的に説教することに取り組まれたらよいのではないでしょうか。

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2018年7月16日 (月)

『君たちはどう生きるか』を読んで

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主人公は「コペル君」とあだ名される中学生です。
あるときコペル君は、仲の良い3人の友だちを裏切ってしまい、そのことを後悔し学校にも行けなくなってしまったのでした。
しかし、コペル君の叔父さんが色々と人生における大切なことをかたわらで語りかけてくれたのです。
そしてお母さんも決して出しゃばらないで優しく見守っていてくれました。
コペル君自身は死ぬほど苦しみながらも、叔父さんやお母さんに支えられ徐々にその挫折から立ち直っていったのでした。
そして最後には深い気づきと自らを奮い立たせる勇気によって友だちとの和解へと至ることができたのです。

物語に出てくるさまざまな登場人物に私自身を重ねるようにして読みました。
読書とは不思議なものですね。
その物語の中でさまざまな人に出会えることのみならず、その人々の中に自分自身をも発見することができるのですから。

本書は「マンガ物語」であると言えましょう。
マンガはイメージが織りなす世界であり、物語は筋書きをもったエピソードの連鎖です。
この本はその意味で、素朴でありつつ心ときめくようなイメージで描かれ、ドキドキはらはらさせられながら筋を追っていくような物語性に富んでいます。
まさに、すぐれたイメージや物語性が読者の心を捉えるのだと思います。
私たちが語る説教もイメージ豊かに、人の心を引きつけるような物語性をもって語られたら良いのにと身につまされました。

この本はマンガですが、ところどころ数頁にわたる文章部分が出てきます。
そのことで読み進むリズムや流れが中断されて困難を覚えるかもしれません。
しかし、その部分こそはこの本が持つ深い哲学性の急所であり、まさに伝えたいメッセージが込められていると思われます。
そこは文章にしなければ伝わらないからでしょう。
私たちの説教にもそのような類似性があるように思います。
説教をイメージによってのみならず、明確な論理的言葉に託しても語りかけるのです。
この本における文章部分もそのようであり、そこはマンガ部分から孤立し独立しているというより、物語全体と深く関わっており、伝えようとするメッセージの核心を明らかにする役割を果たすのです。

まさに本書は、素敵なイメージや心引きつけられる物語性という魅力的な衣をまとうことによって、その中核となるメッセージを、より一層感銘深く読者の心に語りかけることを果たしているのではないでしょうか。
その中核メッセージとは、コペル少年の挫折と立ち直りを物語りつつ、「君たちはどう生きるのか?」を深く問いかけるところにありましょう。
一人の人間として、一人の説教者として、私も心からの感銘と深い問いかけを受けました。

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2018年7月13日 (金)

神の恵みと人の信仰

 福音書にはイエス・キリストによって病いに苦しむ人々が癒されるという出来事が多く記されている。その出来事は神の子であられる主イエスの力によってであることが明白である。けれども主イエスはしばしば「あなたの信仰があなたを救った」とも語っておられる。
 主イエスが神の力をもってその人を癒されたのではないのか。それとも、その人の信仰によって病いは癒されたのか。あるいはそれら双方であるのか。理解するのに戸惑うところである。
 宗教改革における三大原理は「聖書のみ」「恵みのみ・信仰のみ」「万人祭司」である。そこにおける「恵みのみ」の主張は、「信仰のみ」の主張と表裏一体である。あるいは「恵みのみ」の主張は「信仰のみ」の主張を包含すると言ってもよいであろう。これら「恵みのみ」と「信仰のみ」という表裏一体とも言うべき原理を私たちはどのように調和させつつ理解し受け止めることができるのであろうか。
 「恵みのみ」は、もっぱら神の側に思考の焦点を絞るときに明らかとなってくる真理であり、「信仰のみ」は、もっぱら人間の側に思考の焦点を絞るときに明らかとなってくる真理であろう。
 「ちいロバ牧師」と呼ばれた故榎本保郎先生は、その消息に関して次のように述べておられる。「福音は、神が一方的にくださった恵みであり報酬ではない。しかしそれに与るためには私たちの努力が必要なのである。朝が来るのは私の努力ではない。しかし早朝の素晴らしさを味わうためには、早起きが必要なのである」と。
 示唆に富んだ指摘である。ここには、神のなされることと、人がなすべきことが鮮やかで具体的なイメージをもって教えられている。神の恵みと人の信仰との関係をこのような観点から捉えて理解することもできるのではないだろうか。

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2018年7月12日 (木)

神の主権と人間の自由意志

 私たちの人生を巻き込んで展開する様々な出来事の原因は神にあるのか、人間にあるのか。かつて、この「神の主権」と「人間の自由意志」について論じたのが、アウグスチヌスとペラギウスであった。このテーマについては安易に結論づけることはできないように思われる。私自身は、いまだにこの問題を引きずり問い続けている。
 かつて神学校で「組織神学」を4年間かけて学び続けた。聖書の真理を組織的、体系的に整理し、より論理的観点から考察し理解を試みようとする「学」である。このクラスでは実に多くのことを学ぶことができた。
 その組織神学教師はすでに故人となられた。その恩師が4年間の最後のクラスで語られた言葉を忘れることができない。「神の主権と人間の自由意志をあれかこれかと天秤にかけるように考えてはなりません。神の主権も100%、人間の自由意志も100%です。これが4年間の学びの結論として皆さんに伝えたい私の最後の言葉です」と。それが4年間にわたるクラス締めくくりの言葉であり、恩師の神学的見識と神学的示唆の披瀝であった。
 その神学的見識と示唆を胸に刻んで私は今日まで歩んできた。そこにあるのは「単眼思考」ではなくまさに「複眼思考」である。単眼思考とは視野に入る対象が複数であっても、最終的にはただ一つの対象にしかフォーカスが絞れない思考である。複眼思考とは視野に入る複数の対象をそのありのままに見ることのできる思考である。人生の諸問題、この世や教会に関わる諸問題、聖書の真理理解などの問題に向き合い、理解を正確に深めていくためには、この複眼思考を備えることがきわめて大切ではないだろうか。

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2018年7月11日 (水)

クリスチャンホームに生まれて

 わたしは山陰地方の田舎にある牧師家庭に生まれました。そしてわが家は教会であり、教会はわが家であるというような環境のなかで、小さいころから信仰の養いを受けつつ成長していったのです。教会学校でさんびかを歌ったり、聖書の話しを聞いたり、紙芝居を見たりしながら、本当に楽しく素直に信仰の道を順調に歩んでいました。子供ながら真剣に神様に祈って、その願いが聞き入れられたといういくつかの貴重な体験もさせられました。

 しかし、そのような信仰の歩みは純粋培養のようなもので、この世の波風にもまれるにつれて揺れ動き停滞するようになりました。それだけでなく、両親や教会に対してもこれまでとは違い、抵抗し反逆的に立ち向かうようになったのです。そのような私の態度が激しくなったのは高校時代からでした。

 その頃の私にとって不満の種は三つほどありました。
 第一は父がキリスト教の牧師であることからくる家庭の貧しさということです。毎月の高校の月謝がまともに払えないほどの家庭の台所の苦しさや友人たちは自由におやつを買えても自分は買えないという悲しさなどが心にうっせきしていきました。
 第二は友人たちと一緒に遊べないということでした。わが家では「聖日厳守」ということで、日曜日の礼拝は絶対でした。友だちは日曜日の朝早くから魚取りやサイクリングなどに出掛けます。私は誘われても礼拝に出なければなりません。友だちは待っていてくれる訳でもなく、いつしか仲は疎遠になっていきました。
 第三は私の心の奥に巣くう罪の問題でした。その頃の友人たちとの遊びの幾つかは、聖書に照らしてみれば「罪」と思われるものでした。友だちはそれらの遊びのなかに無上の喜びを覚えているように見えました。一方私の場合はそれらをどんなに楽しもうとしても、いつも心の奥にわだかまりのようなものが残り、心から楽しむことはできないのです。その理由は幼い頃から聖書の教えが私の心に刻み込まれており、それが「罪」であることを告発しているからに外なりませんでした。
 このような心の葛藤やうっせきのはけ口として、両親や教会に対し抵抗し反逆的に振る舞ってしまったのです。

 そのような私の内面の葛藤と家庭や教会への抵抗は時とともにさらにエスカレートしていきました。そして、ついに二十才のときに家出をしたのです。自分の自由を束縛するキリスト教やわが家に決別し、これからは意のままに生きていきたいという思いにかられてのことでした。
 私はどこかで職を見つけ、これまでの束縛から解放されて生きてみたいと願ったのです。しかし、予想に反し自分の思うようには事態は進まず、たちまちのうちにわずかな手持ちのお金も使い果たし、生活にいき詰まってしまいました。
 今さら我が家に帰るわけにもいかず、自殺をはかるところまで精神的に追い込まれてしまいました。しかし自殺する前に、今一度自分がこれまで悩んできた最も深刻なただひとつのこと、すなわち「神がおられるのか、おられないのか?」ということを問い詰めてみようという気持ちへと導かれたのです。

 そして、行きずりのとある小さな教会の門を叩いたのです。そこで私はこれが最後だと思い、洗いざらい自分のこれまでの過去を告白し、心の疑問を応対に出てきた牧師にぶつけました。
 ところがその牧師は神から遣わされた天使のように私を暖かく受け止め、耳を傾け、その上で諄々と私の非をいさめてくださったのです。その牧師の語る一言一言が真実の言葉として不思議なほどに私の心に響いてきました。私の心はこれまで固かった氷が暖められ、一気に溶けるような状態になりました。
 牧師は、私がこれまでの神に対する反逆の罪のすべてを悔い改め、イエス・キリストを救い主として受け入れることができるようにと導いてくれたのです。私はこれまで自分の人生で流したことのないほど沢山の涙を流しながら、自分の罪を悔い改め、イエス・キリストを救い主として受け入れ、神へと立ち帰ったのです。 イエス・キリストによって罪赦され、救われ、神に立ち帰った私の心は言葉では言い尽くせない深い喜びに満たされたのでした。

 今や私の心はまったく変えられ、遠く離れたわが家に帰り、これまでの親不孝を両親に詫びねばという思いで一杯となりました。無銭状態の私は徒歩で数日をかけてわが家に辿り着き、両親と再会し、二人の前で土下座をし、これまでの親不孝を詫びたのです。両親は私をゆるし、「家出息子が神を信じて帰って来た」と言って心から喜んでくれました。

藤原導夫

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2018年7月10日 (火)

クリスチャンホームの子供たちの苦悩

 

○はじめに

 とてもショッキングな記事がキリスト教関係の機関誌載っていた。ある牧師家庭の小学生になる子供たちがインタビューごっこをしていた時に、一人が「一番なりたくない職業は?」と聞くと、もう一人が「はい牧師です!」と答えていたというのである。親としては「一番なりたい職業は?」、「はい牧師です!」と答えてくれたらどんなにか嬉しいことであろう。しかし、その正反対の事態が生じているのである。しかも、単になりたくないというだけでなく、「一番なりたくない」とまでも小学生である子供に言わせてしまっているのである。ところで、これは特異なケースなのであろうか。実は決してそうではない。このような例はあちらこちらに見られる一般的な現象であると言っても過言ではないであろう。
 クリスチャンホームの子供たちは、他のクリスチャンたちから「クリスチャンホームで良かったね」という言葉をしばしば聞かされていることであろう。確かに、一家そろって神を信じる中に育まれて生きるということは、この上もない好条件で幸いな信仰的環境に置かれていることになる。他のクリスチャンたちから先のような言葉を受けるのは当然と言えば当然のことなのであろう。しかし、どれほどのクリスチャンホームの子供たちが実際にその言葉どおりに自らのことを感じていることであろうか。むしろ、そのような言葉に対して強い反発やストレスを感じているということはないであろうか。そしてまた、そのような言葉を発する多くの人々が、実はクリスチャンホームにはクリスチャンホームであるがゆえの極めて深刻な悩みや苦しみがあることをどれだけ想像できているであろうか。いや、クリスチャンホームにおける独特で深刻な事態をつゆ知らぬからこそ、そのような言葉を気にもかけずに安易に投げかけることにもなってしまっているのではないだろうか。
 ここでは牧師の家庭や信徒の家庭の子供たちが抱える悩みについて三つの典型的と思われるものを取り上げることにより、そのような事態への理解を深めることと、そのような事態に対してどのように関わっていったらよいのであろうかということを共に考えてみたいと思う。

○神の国とこの世のはざまでの葛藤

 クリスチャンとなって生きるということは「この世」から「神の国」へという一種の方向性を持った動きの中に歩み始めることであるということができるであろう。それは旧約聖書が語るように、奴隷状態の中でうめき苦しんでいたエジプトから乳と密の流れる地カナンへと移住していく歩みを辿ることなのである。また新約聖書が語るように、罪と汚れの中に捕らえられていた古い世界から救い出され、イエス・キリストによるいのちの世界に入れられて新しく歩み出していくことなのである。その意味では、クリスチャン一世はこのような方向性を持つ動きの中に生きる者としてその人生の歩みを辿ることとなるのである。
 しかし、クリスチャンホームに育つ子供たちは、そのような方向性を持った動きの流れの中でだけ歩んでいたのでは、やっていくことのできない事態に必ず直面することとなる。それはクリスチャンとなった親たちが背後にしてきたエジプト的世界との遭遇である。クリスチャンとなるということはこの世に対してある種の訣別をもって生きることとなる。けれどもクリスチャンホームの子供たちは、親たちが訣別したその世界に生きることを否応なしに迫られるのである。
 成長するにつれて子供たちは少しずつ「この世」という現実に触れていくことになる。まずは学校である。そこは、いわゆるこの世の価値観や論理で成り立っている世界である。そこで出逢う教師や友だちのほとんどは、これまでクリスチャンホームの子供たちが育まれてきたような価値観や論理によって生きている訳ではない。学校の外にもこれまで教会や家庭で育まれたのとは異なった原理で動く社会が広がっている。そこはこれまで育まれてきた神の国の価値観や論理が極めて通用しにくい世界である。教会が愛の原理によって成り立っている世界であるとすれば、この世は力の原理によって成り立っている世界であるからである。子供たちは実にその二つの世界のはざまに立たせられて生きることを求められていくのである。
 物心がつき様々なことがらについての認識が深まるにつれ、学校もこの社会も自分たちが教会や家庭で育まれてきたのとはおよそかけ離れたメカニズムで動いていることに気づかされていくのである。一方は神を信じる世界であり、他方は神無き世界なのである。「神はいるのか、いないのか。いったいどちらが本当なのであろうか」。このように教会や我が家とこの世のギャップに直面し、子供たちの葛藤が始まり深まっていくのである。このような実状に対してどれほどの理解や配慮がなされているであろうか。もし、このような苦境にあえぐ子供たちへの理解を深め、適切な配慮をしていくならば彼らは大いに助けられるに違いない。このようなことで苦しんでいると子供たちが親たちに訴える言葉を広く暖かい態度でもって受け止め、その困難な状況に対してどのように考え、どのように関わったら良いのかをお互いに自由に話し合うことができるように心を砕くならば子供たちの重荷は軽くなることであろう。
 実はクリスチャンになるということは「世捨て人」となった訳ではない。クリスチャンとは神によってあらためて「この世」へと遣わされた者でもあるのである。この世は確かにサタンの跋扈(ばっこ)と人間の罪過によって歪められているとは言え、どこまでも神の創造の舞台であり、神の恵みに浴しながらそこにおいて神から託された役割を担って生きることが求められている世界なのである。宗教改革者ジャン・力ルヴァンはこの世は神の栄光をあらわす舞台であるとしたが、この世に対してそのような意識を持って関わりながら生きている親たちであるならば、子供たちが陥るそのようなジレンマを克服する道を適切な言葉やその生き方をもって示していくことができるのではないだろうか。

○アイデンティティー確立の葛藤

 精神療法医のポール・トゥルニエは述べている。「子供にとって善とは、両親が許してくれること、それをすれば両親がほほえんでくれ、愛撫してくれるようなものであり、悪とは両親が禁じていることで、それをすると叱られるようなことなのです」、と。クリスチャンホームの子供たちもまさにそのように育っているのである。そのようにして幼少期には教会や親たちが与えるキリスト教的色彩の強い環境の中で育まれていくことを素直に受け止めていくことができるのである。
 しかし青年期に至ると事態が一変することをトゥルニエは次のように指摘している。「青年時代とは、若い人が自分自身の実存を十分に自覚するようになるべき時期です。つまり、もはや単に両親の子供なのではなくて自己自身になる権利があるのであり、この自己自身になることは権利であると同時に義務でもあるのだ、ということをはっきり自覚すべき時なのです」、と。この時期に若者たちは自らを新しく形成していくために、いわゆる「親離れ」にあえぎ、これまで親たちが与えてくれた様々なものを拒否したり受け止め直したりしながら自らのアイデンティティーを確立していくのである。
 発達心理学者のエリク・エリクソンは「自我同一性」(エゴ・アイデンティティー)という概念を提唱したことで知られているが、思春期の重要な課題はこの自我同一性の確立にあるとしている。思春期はしばしば反抗期と重ね合わせられるが、このような反抗的行為も若者たちが自らのアイデンティティーを確立しようとして苦闘していることのまぎれもない表れと言うことができるであろう。クリスチャンホームの子供たちも学校や教会や家庭を行きつ戻りつしながら「自分とは何か」、「自分は何をなすべきか」といった問題に悩み苦しみながら自己を形成し確立していくのである。そのような人生に当然のものとして訪れてくる精神的発達のためのプロセスを周囲がどのように受け止めて関わるかは重要なことであると思われる。
 まずは子供たちがそのような心理的発達段階を苦悩しながら歩んでいることへの深く暖かい理解を持つことであろう。教会にも行かなくなり始めたり、キリスト教的事柄に強く反抗する子供たちに驚き、キリスト教的善をそれがあくまでも絶対のこととして強圧的に押しつけるようなことをするならば逆効果であろう。この時期の子供たちは親の言うことには反発しながらも、自分があこがれるような人から同じようなことを言われた場合には素直に耳を傾けるというような不思議さを持っている。つまり親の影響力は急速に弱まり、それに代わって自分が心ひかれるヒーロー的存在からの影響を強く受けるようになっていくのである。教会におけるそのような人材に我が子の霊的育成を相談して託すのも一つの方法であるかもしれない。超教派のキャンプや高校生や大学生のための伝道団体などに参加を勧めてそこでの霊的導きに委ねるというような方法もあるであろう。

○罪によって引き起こされる葛藤

 クリスチャンホームの子供たちが味わう二種類の苦悩について述べてきたが、実はかく言う私自身も牧師である父を持つクリスチャン二世であり、教会とこの世のはざまでの葛藤やアイデンティティー確立の葛藤を実体験してきた一人である。自らのそのような体験を思い返しつつ、クリスチャンホームの子供たちの苦悩について更に一つを加えるとすれば、それは罪の問題であろう。
 幼少期から聖書の教えを心に刻み込まれるようにして育った子供たちにとって、それらを簡単にかき消すことはできない。この世の誘惑にいざなわれる時にも、自らの欲望や罪が猛威をふるうような時にも、心に刻まれた御言葉の戒めが忘れようにも忘れることができないようにして浮かび上がってきてしまうのである。どうあがこうとも御言葉とその背後におられる神ご自身によって捕らえられてしまっている自らを覚えざるを得ないのである。
 私の場合について言わせてもらえば、神がおられるのか、おられないのかという問題はきわめて深刻であった。もし神がおられるなら、神がおられるように生きたいと願ったのであった。しかし神が存在しないなら、早くキリスト教的世界から抜け出て神なき世界での生を享受することを願ったのであった。そして、今ひとつの深刻な問題は、パウロが「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか」と悲嘆に暮れているように、罪に引き裂かれて葛藤する自分をどうしようもなかったということであった。
 このような罪との格闘にもがき苦しむ若者たちにどのように助けの手を差し伸べることができるのであろうか。あのアウグスチヌスの青年時代は肉欲のままに乱れた生活を送るという堕落したものであった。そのような息子の救いを涙を流して願う母モニカに対して司教アンブロシュウスは語りかけたのであった。「あなたは本当に真実に生きています。このような涙の子は滅び得ないのです」、と。アウグスチヌスはやがて救われるが、彼は「母にできる唯一のことは私のために祈ることであった」と告白しているのである。
 私が辿った道は、反抗、家出、放浪、自殺未遂であった。私の父も母も涙をもって私のために祈っていてくれたことを私は後に聞かされた。その涙の祈りが神に通じたからこそ、ついには神に帰り着くことが出来て、今の私があると信じているのである。我が子が罪から救われるための残された方法はただ神に祈ることだけしかないのかもしれない。罪とサタンの力に対して、私たちがどのように張り合おうとも勝てる見込みはなく、神とその力に寄りすがるしかないからである。私たちはひたすら心を注ぎ出し、時には涙の中に、神の助けを求めて祈るしかないであろう。慰められることは、聖書は切なる祈りが神に聞かれることを約束しており、真剣な祈りが神に聞き入れられたという証言にあふれているということである。励まされることは、よみがえられたキリストが「今、ここにおいて」私たちと共に歩んでいてくださり、「失われた人を捜して救うため」に命をかけていてくださるということによってである。

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2018年7月 6日 (金)

ジャン・力ルヴァンを訪ねて

 カルヴァン(1509年~1564年)は北部フランスに位置するピカルディーのノアイヨンに生まれました。彼の父はその地の会計官をし、信望のあつい市民であり、カルヴァンに対しては当時できる限り最上の教育を授けようとしました。カルヴァンは人文学と法学の研究に挺身し、その若き日にセネカの『寛大について』の優れた注解を著しています。やがてプロテスタント信仰に触れるところとなり、これに帰依し、26歳の若さで歴史に残る『キリスト教綱要』を著しました。この『キリスト教綱要』によってその傑出した能力を世に知られつつあった若きカルヴァンは、当時の宗教改革者の一人ギヨーム・ファレルによってジュネーブへと導かれ、そこを拠点として終生を宗教改革の働きのためにささげ尽くしたのです。
 E・C・ダーガンは『説教史』の中で、カルヴァンの説教を評して次のように述べています。「カルヴァンの注解は彼の説教と講義の結実である。そしてまた彼の説教は、敷衍され、適用された注解である」。ダーガンが言うようにカルヴァンの説教は、聖書テキスト一節一節の釈義作業を通してメッセージを伝えるという特色を強く帯びています。(26)
 当時の改革教会、とりわけカルヴァンが赴いたジュネーブ地域では、説教は聖書の講解が中心であったようです。カルヴァンはもとよりそのことを重視しており、その説教はひたすら聖書の忠実な講解に終始しています。彼の説教には、いわゆる名説教の華やかさ、美しさに飾り立てられたようなところは見られません。それよりもカルヴァンが終始努力し続けたことは、ただ純粋に御言葉を伝えようとすることでした。御言葉の力を完全に発揮するために、むしろ御言葉以外の魅力を一切捨て去ろうとしたのです。
 しかし、その明解な論理、力強く気品のある表現、御言葉に対する深い洞察から生まれ出る説得力などが総合的に造り出す美しさには、たぐいまれなものが感じられます。カルヴァンの弟子テオドール・ベザはその「一つ一つの言葉に重みがあった」とカルヴァンの説教を評しています。カルヴァンは説教するに当たり、御言葉の探求にひたすら沈潜し、他の何ものにも勝って、御言葉の持つ真理の深さと豊かさそのものが会衆に語りかけることを望みました。そのような彼の説教姿勢が造り出した独特の美しさが、彼の説教には輝いています。
 カルヴァンの説教の特徴はまた「信仰の教育」を目指して語られたところにあります。彼がたずさわったジュネーブにおける宗教改革運動は、決して安易に確立されはしませんでした。カルヴァンは、その改革運動に対する根強い反対に立ち向かうと同時に、自らの陣営の側に立つ多くの人々を正しく、堅く改革主義に立つように訓練するという重要な課題を背負いながら説教しなければなりませんでした。そのような状況の中でおのずと、人々を知的に育成し、信仰の服従へと訓練していくという教育的な説教が必要とされたことでしょう。ですから、彼の説教は聴く人々の情感に訴えるよりも、むしろその知性や意志に語りかけ、結果として信仰の成長と訓練に寄与することを目指して語られているように見受けられます。
 カルヴァンの説教における興味深い特徴の一つは、説教の中で聖書テキストを説明的に言い換えるところにあります。『キリスト教綱要』や『聖書註解』などにおいてもしばしば見受けられることですが、引用された聖書テキストの主旨を、実に優れた表現をもって言い換えて、その中心や深みをとらえ、かつ分かりやすく的確に伝えています。このような聖句の説明的な言い換えは、彼の説教の重要な特色の一つであり、また彼の得意とするところでもあったようです。
 カルヴァンはジュネーブでの前後25年間、その激務の中にあってほとんど毎日を説教のためにささげました。たとえば日曜日の朝は新約、午後は新約あるいは詩篇、週日は旧約についての説教がなされました。そして先に記したように、それらの説教は章節を追ってなされる連続講解説教でした。したがってその説教には特別の標題もなく、主題中心の起承転結もなく、ただ聖書のテキストが読まれ、しばしば「私たちが昨日(あるいは先週)見たように…」で始まり、締めくくりの祈りで終わるというものでした。そして彼のそのような説教は時には2時間余りにわたることもあったと言われています。
 このようにしてカルヴァンの連続講解説教はたとえば申命記から200、ヨブ記から159、イザヤ書から343、エゼキエル書から174、使徒の働きから149、その他に創世記、ダニエル書、書簡などから多数なされたのでした。(27)
 カルヴァンはジュネーブで説教者として着任した後、市当局との対立により追放され、ストラスブールで一時亡命生活を送らなければなりませんでしたが、約3年半後ジュネーブに再び帰任し、最初の聖日の説教壇に立った時、3年半前に中断したままだった「ローマ人への手紙」による講解説教を淡々と再開した話は有名です。
 カルヴァンは、説教の原稿は書かず、聖霊の導きを求めつつ語ったと伝えられています。さらに彼は、説教は聖霊の働きによるものであるというところから、彼の説教の速記録に手を加えなかったのみならず、その説教は自分の会衆に向けてのみ語られたというところから、その出版も望みませんでした。しかし、友人や教会員の切望により、彼の説教はその晩年から没後にかけて次々と刊行され、各国語に翻訳されていったのでした。(28)

     (注)
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(26) Dargan, E.C.ed., A History of Preaching, Vol.1, p.449.
(27) J・D・ベノア『ジャン・カルヴァン』日本基督教団出版局、1955年、216頁。
(28) 竹森満佐一氏による『カルヴァン説教集』(新教出版社、1952年)、また渡辺信夫氏による『苦難と栄光の主』(新教出版社、1958年)は、いずれもカルヴァンの説教の幾つかを日本語に翻訳したものですが、巻末にはそれぞれ訳者による優れた解説が付されており、カルヴァンの説教を知る上でよい参考になると思われます。
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   「聖書の神学的解釈」を巡って

 カルヴァンの場合は、ルターに比べるとむしろ「釈義的」な聖書解釈のレベルに厳格にとどまろうとしているように見受けられます。カルヴァンもルターと同様、カトリック教会に見られるような聖書の比喩的解釈に対しては厳しい拒否の姿勢をとっています。
 カルヴァン自身の聖書註解や説教を見るとき、それらは非常に釈義的であり、主観的読み込みを極力避けようとしていることがうかがえます。聖書テキストの一節一節を丹念に忠実に解釈し、説き明かしていくというのが、カルヴァンの聖書註解や説教に見られる大きな特徴です。その意味では、まさにテキスト自身にそのテキストを語らせるということを最も忠実に果たしているのがカルヴァンの聖書解釈の特徴であると言うことができます。その点では、カルヴァンは宗教改革の聖書解釈原理とされる歴史的・文法的解釈を最も忠実に実践した改革者の一人であったと言うことができます。主観的な読み込みに陥らず、あくまでも聖書テキストそれ自身の意味を釈義的に追究し、テキスト自身をして語らせようとするカルヴァンの聖書解釈の姿勢には、学ぶところが大きいと思われます。
 カルヴァンは確かに、ルターに見られるような神学的色彩を強く持ったキリスト中心の聖書解釈に傾くことはなかったように見受けられます。しかし、ただ単に客観的な聖書釈義の次元のみにとどまっていたとするのは正しくありません。カルヴァンはむしろ宗教改革における聖書解釈原理の一つでもある「聖書が聖書を解釈する」ということをもって、すなわち個々の聖書テキストを聖書全体の神学的主張に照らしつつ解釈するという姿勢で、聖書解釈をなしていったのでした。その意味では、カルヴァンの聖書解釈も極めて神学的であったと言うことができます。
 ルターに関して言えば、彼は全聖書における核となるものはキリストとその福音であるとし、そこに強い焦点を当て、それをもって聖書解釈の際の重要な神学的てことしたと言えるでしょう。それに比べるとカルヴァンの場合は、むしろ聖書全体をキリスト教信仰と実践に関するトータルな神の啓示と見なし、その全体の光の中で多様な個々のテキストを位置づけ、その固有な意味を生かしつつ解釈しようと試みたと言えるでしょう。

 ここでは、ルターとカルヴァンの聖書解釈のあり方を比較して、そのどちらが正しいかということを求めていこうとするのではありません。むしろこの偉大な宗教改革者の双方を通し、説教者が覚えるべき聖書解釈のあり方を学び取ろうとするものです。一方でルターが保持した聖書解釈のあり方、また他方でカルヴァンが保持した聖書解釈のあり方は、それぞれ共に重要なものであると思われるからです。両者は宗教改革において主張された聖書解釈原理に基本的には同時に立ちつつ、しかも互いにその神学的な特質はまた微妙に異なっているようにも見えます。
 ルターの場合にはキリスト論を聖書解釈の中心に据えるのに対し、カルヴァンの場合には、むしろキリスト教教理の総体を重視し、ある特定の教理条項のみに聖書解釈の焦点を集中させることがなかったと言うことができるかもしれません。このような両者の違いを相入れない矛盾と見なすこともできます。しかし、難しいことかもしれませんが、むしろ相補的に、あるいは緊張関係において双方を見ていくことを通して、それらを私たちの説教に生かしていくことができるならばと思わされます。

  (藤原導夫著『キリスト教説教入門』より引用)

ジュネーブの国際宗教改革博物館に展示されているカルヴァンの肖像画
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カルヴァンが説教したサンピエール教会
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サンピエール教会堂内部
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そこでカルヴァンが立って説教した説教壇
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説教壇へ上るらせん階段。手前はカルヴァンが座っていたイス
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説教壇の下に立つ
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ジュネーブ大学構内、パスティオン公園にある宗教改革記念碑
向かって左からギヨーム・ファレル、ジャン・力ルヴァン、セオドール・ベザ、ジョン・ノックス

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ジュネーブ国際宗教改革博物館にあるカルヴァン臨終の際の光景
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カルヴァンの墓があるブランバレ共同墓地
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カルヴァンの墓
カルヴァンの遺言の一部 「私は希望する。この生命を終えた後には、喜ばしき復活の日が到来するまで、この教会と市の慣例に従って遺体を埋葬されることを」

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カルヴァンの墓碑、認識票707
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人に尋ね、迷いながら、ついにカルヴァンが埋葬された墓地に辿り着いた
それはアパート等がまばらに立つ、奥まってひっそりとした公園墓地であった
畳一畳ほどの場所に丈の低い樹木が植えられ、鉄柵で囲まれているだけである
これが偉大な業績を遺した人物の埋葬地であろうか
しかし、これこそ神の栄光のために生きたカルヴァンにふさわしいと思わされた
言い表せない深い感動が心の奥底から湧き上がってきた

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2018年7月 5日 (木)

マルチン・ルターを訪ねて

 ルター(1483年~1546年)についてE・C・ダーガンは『説教史』の中で次のように述べて、彼の説教者としての姿を強調しています。「ルターの務めや業績、すなわち学者、神学者、著述家、指導者といったことの中で、私たちはまず何よりも第一に彼が説教者であったということを忘れてはならない」。(22)
 ルターはアイスレーベンという小さな町に農民の子として生まれ、両親は彼を当時のカトリック信仰の中に厳しく育て上げました。学問的にも厳しい訓練を受ける中で、父は彼が法律を修めることを求めましたが、彼はそれを拒み、修道士となったのでした。しかし、修道院での日ごとの修業に徹しても魂の平安を得られず、さらに聖書の研究に打ち込む中で、ついにローマ1:17を通して「信仰による義認」の認識へとたどり着いたのです。
 彼はカトリック教会の免罪符についての教えに公然と抗議し、1517年、ウィッテンベルク城内の教会の扉に95箇条にわたる批判を掲示しました。以来、「信仰によってのみ義とされる」「聖書のみが唯一の権威である」という旗印を掲げて、その死に至るまで宗教改革を戦い抜いたのです。
 ルター研究で知られているR・H・ベイントンは、ルターにおける宗教改革の特徴の幾つかを論じ、「宗教改革は説教に中心の位置を与えた」と述べています。どれほど当時、説教が人々の間に力強くよみがえってきたかを彼はウィッテンベルクを例にとり、続いて次のように述べています。「日曜日には、3回の一般礼拝があった。朝5時から6時までパウロの書簡について、9時から10時まで福音書について、午後はいろんな時間に、朝の主題の続きか、教理問答書についてである。教会は1週間中閉められず、月曜日と火曜日には教理問答書について、水曜日はマタイの福音書について、木曜日と金曜日には使徒の書簡について、土曜日の夕方にはヨハネの福音書について説教があった」。
 ルター自身の説教についても次のように述べられています。「家族礼拝を含めてルターは日曜日にしばしば4回説教をしたし、四季に教理問答について1週4日の2週間連続説教を行ったのであった。現存している彼の説教の総数は2300篇である。最高数は1528年で、その年には145日間に195篇の説教が行われているのである」。(23)
 ルターはその説教において傑出していましたが、それは彼に本来与えられていた多能さのみならず、彼が説教の務めを高く評価し、説教に情熱を傾けていたことに由来していると言えます。すなわち彼自身、牧師の仕事は御言葉を説くことであり、御言葉の中にのみ人生の悩みのいやしや永遠の祝福に関する慰めがあるとの理解を持ち、御言葉を語ることを非常に重要視し、心血を注いで説教をなしているからです。
 ルターにおいて注目すべきことは、説教が聖書のみからなされるべきこととし、またその説教の前提としての聖書が正しく解釈されるべきとの主張を展開したということです。彼が主張する説教のための聖書の正しい解釈とは、いわゆる聖書の「歴史的・文法的解釈」原理を意味しています。これはほぼ今日までプロテスタント教会の聖書解釈の主要原理として認められてきた立場でもあります。
 この主張は、中世教会の歴史において長く見られた、いわゆる比喩的聖書解釈に対する拒否と決別の表明でもありました。すなわちそのことは、これまでの中世カトリック教会がとってきた聖書テキストから多重の意味を読み取ろうとする聖書解釈法に対して、聖書テキストの真の意味はただ一つであり、それは歴史的・文法的解釈によって明らかにされるということを意味していました。このようにルターはその宗教改革において、説教が真に聖書からなされるべきこと、また聖書の解釈が歴史的・文法的解釈作業によって正当になされるべきことを力強く主張したのです。
 しかし、ルターが主張する歴史的・文法的解釈は同時に、聖書のキリスト論的解釈でもあったのでした。そこにあるのは、聖書が本来的に語っていることは、イエス・キリストについてであり、またその福音についてであり、歴史的・文法的解釈法によって見いだされるただ一つの意味は、このイエス・キリストにかかわることであるという理解です。ルターにとっては、聖書は「イエス・キリストを盛る器」であり、説教はその器に盛られたこのイエス・キリストを中心的に語ることを意味したのでした。(24)
 ルターは、キリストの救いの福音が全聖書に通じる中心的メッセージであり、この聖書の中心メッセージをこそ明らかにし、宣言していくことが説教の目的であるとしています。そこには聖書をキリスト証言の書と見なし、説教をそのようなキリスト証言の営みとして理解していこうとする、非常に強いキリスト論集中の傾向がうかがえます。そしてルターの場合、このような神学的立場から、逆にその聖書解釈や説教が規定され、制約されてしまうという傾向が見られます。このようなキリスト論的聖書解釈および説教のあり方の是非については、今なお論議のあるところでもあります。
 ルターは一方では、すでに見たように説教が聖書から忠実になされるべきことを強調すると同時に、他方では説教が会衆の生きている状況を配慮しつつなされるべきことをも強く主張しています。彼は、説教が会衆に即応しておらず、具体的な会衆の状況を無視したものであってはならないとしています。ルターの説教の努力は、聖書の言葉に対し、「かつて・そこで」の意味をどのように正しく見いだすかというのみでなく、「いま・ここで」の言葉として、それをどのように取り次ぐかにも向けられています。彼の説教には、そのように会衆の状況をくみ取り、それを説教に取り入れて語るというかたちで、会衆の必要に対してこたえていこうとする配慮が随所に見受けられます。(25)
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   (注)
(22) Dargan, E.C.ed., A History of Preaching, Vol.1, p.389.
(23) R・H・ベイントン『我ここに立つ』聖文舎、1969年、462-463頁。
(24) ウイレム・コーイマン『ルターと聖書』聖文舎、1971年、291-310頁。
(25) 岸千年『ルターの説教』②、聖文舎、1986年、157頁。
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「聖書の神学的解釈」を巡って

 ルターにおいては、聖書の歴史的・文法的解釈は、同時にキリスト論的聖書解釈という神学的色彩を持つものでもあったのでした。彼は中世カトリック教会のように一つの聖書テキストから多重の意味を読み取るような聖書解釈法は避けようと努めています。しかし彼は、聖書の真の理解は歴史的・文法的理解だけでは十分でなく、キリストを見いだし、福音を聴くところにまで至らなければ本当でないとしています。それゆえ彼は、聖書の字義的意味に固執し、キリストを見いだすことのできないユダヤ教的解釈や、やはり聖書を当時の最高の学問的レベルにおいて読みこなしつつも、そこにキリストを見ようとしない有名な人文学者エラスムスなどを厳しく非難しています。
 ルターにおいてはこのように、聖書の歴史的・文法的解釈という「釈義的」な聖書解釈を基本としつつ、しかもそのレベルでとどまらずにキリスト論的解釈という「神学的」なレベルにまでその解釈の奥行きを深めようとする聖書解釈の姿勢が見られます。
 しかし、ルターのこのような聖書解釈の問題点は、一つの聖書本文のただ一つの意味がいつもキリスト論的解釈によって正しく見いだされ得るかというところにあります。ルター自身の場合を見ると、一方ではカトリックの比喩的解釈を拒否しつつ、他方ではその聖書テキストに対してかなり無理とも思えるようなキリスト論的解釈を実際に行なっていることが見受けられます。ルターに見られるこのようなキリスト論的聖書解釈は、今日に至るまでのプロテスタント教会の歩みに対して少なからぬ影響を及ぼしてきているのも事実です。けれども、そのような聖書解釈原理はやはり、すべての聖書テキストに対するキリスト論的解釈がいつでも妥当であるかという問題を常に投げかけてもいるわけです。

   (以上、藤原導夫著『キリスト教説教入門』より引用)

アイゼナハの街。ルターがラテン語学校通学のため3年間(1498~1501年、15~18歳) 下宿していた家。この街はバッハ(1685~1750年)出生の地でもある。
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ウィッテンベルグの街。そこにある聖マリエン教会(町教会とも呼ばれる)、ルターはこの教会で説教した。
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ルターがそこで語った説教壇 (聖マリアン教会にはなく、今は博物館にて展示)
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免罪符と引き替えにお金を入れる献金箱(博物館に展示)
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町並みの正面に見えるウィッテンベルク城
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ウィッテンベルク城
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ウィッテンベルク城教会内部。城教会は城主、王侯貴族のための教会。礼拝堂正面右手に見えるのが、らせん階段を上って語る説教壇。 町教会は一般庶民のための教会であり、ラテン語が分からないため、ルターは95ヵ条をラテン語が通じる城教会門扉に貼り付けた。
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ルターが95ヵ条の提題を貼り付けた門扉の前で。現在の門扉は鉄製であり、ルター時代の木製門扉は戦火で焼失した。
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アイゼナハの街からバスで20分ほどの山頂にあるヴァルトブルク城。カトリック教会からの迫害を逃れ、ルターはこの城にかくまわれた。
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ルターがこもって新約聖書を3ヶ月でドイツ語に翻訳したとされる城内の部屋(1522年)
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ルターはザクセン選帝侯の保護の下、ここで旧約聖書をドイツ語に翻訳する作業に取り組んだ(1530年)
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ルターが死去した(1546年)家。ルターはアイスレーベンで生まれ、アイスレーベンで没した。
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